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2007年5月22日(火)から30日(水)  (7/11・・・ 27日まで記入)
2007 Alstrom Syndrom International Family Conference And Scientific Colloquium

22日
いいお天気。

朝から 一度私だけ保育園に行きました。
個別懇談の日程を決める用紙を24日までに提出とかで昨日 子供たちがもらって帰ってきたので 紙だけ持って行きました。
そろそろ 出発というころ、なんと今回 テキサスで通訳をしてくれるAki先生が 電話をくださいました。
「テキサスに到着するの 夜の9じですけどだいじょうぶですか?」と。すごく 安心した。

12時ごろに家までシャトルタクシーが来るので それまでにすこしおなかを満たし、空港に向いました。レイナもおにいちゃんも空港につくとすこしテンションがあがり うろうろ・・・17時25分発 カナダ バンクーバー行き。 アメリカにいくのにカナダ。そう、乗換えが2回。不安もあり 早く飛行機に乗ってしまいたい気持ちもあり・・・でも機内食がでるにもかかわらず 腹ごしらえをして時間をすごしました。

搭乗の時間には 名前が呼ばれました。
というのも Sandraさん、そしてサキパパ(旅行会社勤務)の配慮で レイナの病気のことがつあえてあり 早くのせてもらえました。
飛行機の中でおにいちゃんはとっても賢く、レイナはときどき ぐずったりしていたけれど、機内食をたべ、薬を飲み 普段の寝る時間には うとうとしはじめて寝てくれました。 レイナは私の太ももを枕に横になって寝ていたので、足がしびれた〜。
今回の移動で一番の問題が 薬。今日の夜の分は普段どおりに飲んだとしても 時差があるからずれてくる。とりあえず 時計は日本時間にしておき 常に12時間おきを目標に飲ませる・・・が、どうしても現地で変な時間に飲ませることになる可能性があり 現地の時間やスケジュールとにらめっこしながら 薬の時間を調節しないといけなかった

バンクーバーに着くまでレイナもおにいちゃんも賢くねてくれた。
バンクーバーには日本時間の夜中3時につく。でも バンクーバーは朝の11時。 普段の熟睡タイムに起きることになったけれどスキッとおきて乗り換え。
バンクーバー空港には ところどころにトランスレーターが立っていて 声をかけてくれた。でも建物の構造がわりと複雑にみえるけれど間違えないように作られていて しかもすっきり綺麗だった。バンクーバーでアメリカの入国審査をうけ 今度はアメリカ、デンバーへ。
デンバーに到着するのは現地時間の17時50分。日本の時間では23日の朝6時ごろ。 なので このフライト中か次のフライトで薬を飲ませないといけない。
やっぱり子供たちは なんか昼間なんやけど、体がだるいし でも飛行機や見たことのない場所にテンションは高いし 飛行機でスナックやジュースがでることでルンルン。とーっても賢いようでとっても怖い・・・もつのか?テキサスまで。
デンバー行きの飛行機ではさすがに眠くなったのか二人とも寝た。なので レイナは 次のテキサス行きにのったらすぐ薬をのませないと ずれてややこしくなりそう・・・
しかも、次の乗り換えは 時間がないので 移動をスムーズにしないといけないので ちょっと心配。と おもっていたら 隣だったので よかった。
でも・・・なぜか 飛行機が遅れることに。えぇ〜そんなん、どうなんの?とおもったけれど とりあえず薬を飲ませ フライトの確認をしながら のんびりすごせた。 19時発だったのが20時半ごろになってから立つことに。
ダラス・フォートワース行きの便で 私の隣に座ったおじさん。Davidさん。とっても綺麗な日本語を話される方でした。 いろんなお話をしていると30年前に日本語を勉強されたとか。とっても綺麗な日本語でびっくり。 そしてなぜ ダラスにいくのかときかれ、今回のカンファレンスのこと、レイナのことを話すと 「困ったことがあったら 電話してください」と名刺とメールアドレスを教えてくださいました。そして・・・

テキサス、ダラス・フォートワースに到着!! 家を出てからちょうど24時間ぐらい。
荷物をとりにいくと おもいっきり日本人顔の日本人が!!そう 会議中のトランスレーターのAki先生。 私がおもいっきりアメリカ人と話している姿をみて 「英語できるんじゃ?」と思ったらしいが 綺麗な日本語と おもいっきり関西弁ででてきて しかもへとへとくたくたで ろくすっぽ挨拶もできないまま 車に乗せてもらいました。

24時間の旅でした。

ホテルは アットホームな感じのホテルで 部屋はクーラーががんがんついていて すっごく寒い。
お風呂をどうするか悩んだけれど シャワーを浴びで 寝ました。


23日

朝は Aki先生の電話で起きた。
もう11時だった・・・ 寝すぎたか?いや?どうなんだ??って感じでした。

レイナの先生、N先生が 12時ごろにフォートワースに到着する予定だったので お迎えに行こうと思っていたのに 寝てたよ〜。失敗した・・・

ボーっとしていたけれど Aki先生が 「Sandraさんが 早く会いたがっている」と言っていて、私も早く会いたいけれど もう すでに泣きそうだった。
ホテルのフロントに行くと Sandraさんが いた。
N先生ももう 到着しておられた。
みんなに ありがとうが 言いたいのに、Sandraさんを見たとたん、涙が出てきた。
ハグしたら もう 止まらない、ジャーって涙がでて フラフラした。
ありがとうもいえないぐらい ありがとうって気持ちがいっぱいで、すごく会いたかったから 夢のようだった。
N先生は きっと 私の涙に いろんな意味でびっくりしたと思う。
Sandraさんも 気づけば 涙を流していた。

「とりあえず、おなかすいてるでしょ?御昼ごはんをたべてきて」と Sandraさんに言われ Aki先生とN先生と御昼ご飯。

実は N先生とAki先生は 以前一度会ったことがあるらしい。
Aki先生は 獣医でいろんな研究をされていて N先生も以前アメリカで 研究をされていたみたい。
そのときに なにかの形で一日だけあったことがあったらしく、これも なんだか運命のようなものを感じた。
すごい奇跡に近い。
やっぱり なにかこういう人をつなぐ力が 動いているように思う。 嘘みたいなことばかり起こる。

お昼ごはんは サンドイッチ。
マズイ・・・味が なんかおかしい・・・
お兄ちゃんは まずいといって 食べない。
確かに パンもまずいわ、チーズは変な味だし。

しばらくしたら、Sandraさんがきてくれて、レイナとおにいちゃんに プレゼントがあると  持って来てくれた。

そして私にも素敵なコースターをくれた。
すごく、うれしい。
本当に私たちを待っていてくれたんだって思った。



N先生は 到着してすぐなので お部屋でゆっくりされることに。
私たちは Aki先生と Robinさんの運転で 近くのモールへ。

目的は ライター。
お父さんは タバコを吸う。 アメリカへはライターを持ち込めないから 空港で捨てないといけなかった。
アメリカは 禁煙が当たり前で ホテルのフロントにも ライターもマッチもない。

モールは近くで 歩いてでもいけそうな距離なのに アメリカは 歩いている人がいない。
というか 歩かないらしい。(そこに車があるのに なぜ歩く?という感じ)

モールは映画館や いろんな店舗が入っていて 日本のスーパーのようなところだけど なんだかやけに広い。
プレイコーナーで遊ぶガチャガチャお菓子ってかんじ


モールの中のコンビニで お父さんは やっとライターを手にすることに。
私は 1リットルの水を3本と お菓子などをいくつか買った。

普段、家では お茶ばかり飲ませているのに 機内でジュースか水が多かったお兄ちゃんもレイナも やはり 本当にのどが渇いているというのか 体が欲しがるのか、『お茶』という。

そういうだろうと思って 家で飲んでいる プーアール茶のティーバックを ちゃんと持ってきた。水出しでもいいタイプはこういうとき助かる。


ホテルに戻ると 今回 お兄ちゃんのバディ兼通訳のAちゃんと レイナの保育兼通訳のHさん(Aちゃんのお母さん)が 来て下さっていました。
Hさんは 国際結婚をされていて Aちゃんは日本語でHさんと生活、ご主人とは英語ということで Aちゃんは 日本語ペラペラで すっごくかわいい。

お兄ちゃんは Aちゃんと過ごすことを楽しみにしていたのに 恥ずかしいみたいで 話もしなければ目も合わせない。

AちゃんとHさんには 日本から いろいろお土産をもってきていたので渡した。
Aki先生にも Hさんと同じものを渡した。
(漬物・佃煮・いかの塩辛・生八橋・お茶など)

18時半から バディとの顔合わせなどを兼ねた ピザディナー。
土曜日の午前に通訳に来てくださるCさんも 来て下さいました。
レイナは疲れからか寝た。
お兄ちゃんは ピザで嬉しいみたいだったけれど、「コレが晩御飯??」と すこし疑問だったみたい。
もちろん、もうすでに 機内食や昼ごはんが とんでもなくご飯というものではないものばかり食べている私たちも 若干、「白いご飯たべたい・・・」と思っていた。

顔合わせでは まず、ボランティアさん、バディにこの病気の視覚障害・聴覚障害がどういった感じなのかを 知ってもらうために シュミレーションをしました。

Alstrom症候群の視覚的な特徴、眩しくて見えにくい、または見えないという状況を みんなに感じてもらうために ワックスシート(いわゆるオーブンシート・・・お菓子作りでつかうような)に小さな穴が開いていて その紙をしっかり顔にくっつけて 見るタイプ。
ちゃんとしたシュミレーション眼鏡で 眩しくぼやけて見える世界。
中心部しかみえないシュミレーション眼鏡。
コレを参加者全員が しました。

                                 ふざけて見える眼鏡は小さな穴あき

聴覚としては 耳にコットンをいれました。

あと 親がカンファレンスに参加している間は ボランティアさんと患者がともに行動するので 視覚障害者と一緒に歩くときの方法や 聞こえにくいからしっかりはなすことなど いろいろなアドバイスをされていました。
もちろん、参加した患者の何名かは 盲導犬も一緒でした。

今日は 早く到着する人のみで 明日もまた 到着する方がいるので 今日はすこし人は少なかったです。

一人 レイナと同じ3歳の女の子がいました。
その子がまた びっくりするぐらい レイナと同じ感じ。
似てる・・・
顔の表情(眩しいから仕方ないけれど)
背格好(3歳だし 同じぐらいで当たり前だけど・・・ぽっちゃりした感じまで)
あまりにも 似ていてかわいくて 一緒に写真をとりました。
(そう思っているのは 私たちだけかも・・・)

でも そう実際、そう感じているのは私たちだけではなく どの親、ドクターも感じていることで 他の症候群でも 顔が似ていることがある。

Alstrom症候群も もしかしたら 骨格を調べるとなにかヒントがあるかもしれないということで 顔の3D写真を撮影しに いきました。
コレはもちろん研究データとしてということです。
親や先生たちもできます。
実際に いろんな治療や 検査方法のひとつとして活用されているもののようで たとえば 顔に腫瘍があったとしたら 撮影しておき また次に撮影したときにどのように大きくなったかまた 小さくなっているかなど 比べられたりするそうです。

私たち家族4人、N先生 Aki先生もしました。
この機器を取り扱っている方は 日本にも居られたそうで いくつか日本語を話されて おもしろい方でした。

カメラで写真を撮り パソコンで顔写真をいろいろな方向から立体的に見ることができる


そして 私は 日本から もって来たとても大事な詩を Sandraさんに 渡しました。
南嵜 久美子さんの詩集 青いくじらの涙から 3点 視覚教室の所長さんから たくさんの方の協力を頂き、詩を英訳していただきました。

Sandraさんにまず 読んでもらいました。
とてもいい詩だし きっとなにか感じると思っていた。
でも すこし不安もあった。国の文化の違いで 詩の感じ方が違うかもしれないって。
でも Sandraさんは
『とってもいい詩だ。・・・私はね、ぜったい子供より先に死なない。子供が悲しむから。そうでしょ?』と
よかった。
詩の 内容もそして 私が思っていたとおり この久美子さんの詩は どれも 希望を持って生きること、そして 母親への大きな愛情の詩である。
それをしっかり感じてくれた。
私がこの久美子さんの3点の詩を選んだのは 患者本人の希望を忘れない気持ちと 母親への愛情、そして 母親が自分の体も大切にしないといけないというとても深い メッセージが込められている
だから、このカンファレンスで みんなに知って欲しかった・・・
このカンファレンスの間、メモリアルの部屋がある。
なくなった方の写真が飾ってある。
その部屋に 詩をおいておくといってくれた。

夜、お父さんに 子供たちをお風呂に入れてもらい 寝かしつけてもらっている間、洗濯をした。
洗濯板で・・・
テキサスって 暑いって聞いていたのに ずっと曇ったり雨が降ったりして しかもじめじめしてる。
まったく乾かない。
昨日洗ったのも 干したときと同じ状態・・・

でも HさんやCさんにきいても 「今年は特別、いつもはもっと暑い」って・・・
まあ Alstrom症候群は眩しがるから 曇っているほうがいいんだけど・・・

お兄ちゃんは どうも今頃時差ぼけか それともベッドで寝にくいのか 夜中1時ごろから4時ごろまで寝られないというし、レイナは朝5時ごろからおきて ルンルンだしで、結局私は 洗濯が乾いていないものをアイロンがけしたりしていたので 1時間ほどしか寝られず・・・



24日

朝 8時に ご飯を食べにいくと もうAki先生は食べていた。(すごいな〜 早起きだ・・・)

レイナは シリアルをたべ、お兄ちゃんは朝から ポテトばかり食べている。
フルーツ・甘いデニッシュ・カリカリベーコン・スクランブルエッグ・・・ いっぱいあった。

実は昨日 Hさんが 帰られるときに おにぎりを作って持ってきますといってくださって、みんながおにぎりを心待ちにしている。

昼前に お兄ちゃんは勝手にホテルのフロントに行っていて 帰ってきたと思ったら
「おにぎりきた」と・・・
HさんとAちゃんが カンファレンス中 ホテルに泊まってくださることになっていて 今日から 宿泊予定で来られたのに 出会ったみたい。
そして Hさんが 部屋に来てくれたときに
『おにいちゃん、私の顔を見て おにぎりがきたって 叫んだのよ〜』と・・・
失礼極まりない・・・ごめんなさい。

Aki先生、N先生も誘って みんなで Hさんの貴重なおにぎりをいただきました。
みんな パクパク食べました。

その後、お父さんにレイナを任せて おにいちゃんはAちゃんと遊ぶというので 私はHさんに わがままを言って 『クリスピークリームドーナツ』を買いに連れて行ってもらいました。
日本では まだ東京しかなく、しかも大行列!なって 報道されているんだから 食べとかないと!!
店は ガラガラ〜。
アメリカでは 朝ごはんらしい。 15時ごろに行ったので 人がいるわけがなかった。
でも 人がいないのに 大量にドーナツを作り続けている・・・どうなんだ? 余らないのか?

帰りに すごい雨がふりだした。
テキサスは 平らな土地で 山もなければ谷もない。
ちょっとした下り坂のところなど水が溜まっていて 車が 浸水しかかっている。

ホテルに帰って ドーナツを食べた。

一番右が オリジナルでおいしかった。後はすこし甘すぎ。
ドーナツと一緒に 牛乳を買ったので 一緒に飲んだ。
牛乳は ペットボトルにはいっていた。 マズイ・・・ ペットボトルのにおいがうつっている。
日本で牛乳が 紙パックで売られている理由がすごくわかった。



ディナーは 今日は タコス。
今日も 到着した人がいるので 視覚のシュミレーションなどもありました。
タコスは やはり辛くて レイナには無理でした。
Hさんの持ってきてくださったおにぎり。本当に 助かった。

で、 ご飯の後にデザート。 チョコのムース。
・・・甘い。 糖尿の人もいるのに??って思ったが このチョコムースは アメリカではかなり甘さが抑えてある味だと・・・ アメリカのデザートでこの味なら 「砂糖入れ忘れた??」っていってもいいらしい。
食べ物には すべてびっくり。 ショックが大きい。

ご飯のあと 明日から本格的に カンファレンスが始まる。
明日は 採血が朝一番にある。
コレは 朝の食事を抜いて 血糖などを調べることと、あとは遺伝子検査用
レイナは 血糖はいいから 明日食事はする。

明日のカンファレンスは 多臓器にわたるこの病気のことを いろんな分野にわかれて掘り下げられるので
2部屋で30分ごとに 話がされる。
私はAki先生と、お父さんはN先生というふうに わかれて話を聞くことにしました。


そろそろ部屋に・・・というころ スペインの家族が話しかけてきてくれた。
やはり病気の発症・経過のエピソードが同じ 彼も4ヶ月のとき心臓が拡張し そして 利尿剤で自然に落ち着いて今は心臓は大丈夫。
コンタクトと遮光眼鏡を2種類つかっているといっていた。
お母さんが 「コメムーチョ?」と聞いてきた。
ん?コメ?米・・・ムチョーよ!!と ムーチョ、ムーチョと勝手にいっていた。
コメムーチョ=いっぱい食べるかってきいていたらしい。
そう、レイナは 米ムーチョ!!
スペイン家族は 英語の通訳を通し、私たちも Aki先生と N先生の通訳を通し、 言葉の面白さ、そして症状が同じことなどで 一気にもりあがった。
私も 言葉は まったく分からないが なにをいっているのか スペインのおかあさんのいうことは すごくわかった。

やっと、『同じだね』と 共感できる人たちにあえた
すごく嬉しい。 
今まで 目のことも心臓のことも ゼロゼロいうことも おデブも 個々に共感できるお母さん友達は 病院だったり 療育施設だったりで いっぱいいた。
でも Alstrom症候群として 話をしたりできるのは 久美子さんのおとうさんに2回。
そして どこのお母さんも わたしと同じ思いで ここに来ている
そして どこのお母さんも よくしゃべる。


25日
朝 7時半ごろ食事へ。
おにいちゃんは 「またこれ? 白いご飯は ないの?」といいながら ポテトをたべていた。
レイナは 家でも朝は シリアルなどが多いので朝は 比較的たべてくれる。

8時15分から 採血へ。



身長・体重を測り、血圧。 血圧もいい感じ。
そのあと 採血。 
「お母さん、そばにいてあげて」といわれたが 日本では 採血のときなど お母さんがいないほうがいいのでいつも 一緒にいないし 余計に嫌がるので離れていたが あまりにも すごい力で逃げようとするので いったん針を抜いて もう少し採ろうというかんじでしたが 1回分で終わることができました。


ここから 子供たちは それぞれ保育ルームへいったり、子供たちだけの活動に参加しました。
レイナは Hさんにおまかせして5歳までのキッズルームへ お兄ちゃんはAちゃんと12歳までの兄弟姉妹のお部屋で遊ぶことになりました。
レイナは 他のお友達(患者)と手をつないで歩いていた。かわいかった。
お兄ちゃんは 親から離れて自由におやつをたべ(子供の部屋には 常に山盛りのお菓子が!!ポップコーン作る器械まで・・・アカンやろ・・・)
昼からはPutt Puttとやらに 連れて行ってもらったそうです。(いまだになんのことやらわからない・・・)


私たち親、先生はここからお勉強です。

9時から11時半まで Alstrom症候群の歴史と概要・会議への参加意義・Alstrom症候群タイムライン 
ここらへんは ジャクソン研究所のAlstrom症候群のウェブサイトの内容などが多かった

早期発見について
●発見・診断が遅れたときの心理的影響。
●なぜ、診断されにくいのか・・・
●遅く診断されるとどうなるか

医者がこの病気を知らないことが多い(しかし、症例報告があるので診断されやすくなっている)
間違えた診断をされる(眼の部分など)
家族があきらめる。”次に何がおこるのか誰にもわからないというストレス
患者自身が不安で不確かな環境の中で成長し どんな医療サポートも拒絶してしまうこともある

このプレゼンテーションの目的のひとつはまれな病気を正確に診断するよう医師に動機付けるためでもありました。
そうすることで 見落とされることまたは不必要に生活の質を落とさないようにすることができます。
たとえば・・・
※盲目になる視力障害・・・早期に点字を教える
※難聴・・・補聴器を早くつける
※肥満・・・運動・食事療法
※拡張型心筋症・・・慢性心不全の早期発見・急性心不全の防止
※糖尿病・・・高血糖ショックと昏睡の防止、非典型的な糖尿病の管理
など・・・他 たくさんの症状が現れたときの対処方法をしっておくことがとても大切である。
この病気を治癒することはできないし 症状が現れるのも避けられません。でも 早期発見が生活の質を向上させることは まちがいないのです。


過去10年間でわかったこと
いろいろな患者さんのデータから分かったこと 注意すべき点を話されました。


健康維持とライフスタイル
基本的なこと・・・運動すること ストレスをためないこと
食事については フリーラジカルを減らすこと(減らしすぎもよくないが・・・)アミノ酸アルギニンを含むものが有効かも。


複数の感覚喪失の影響(視覚・聴覚)
ここは 特にレイナにとって 今すぐにでも変化が起こってもおかしくないところで 特に気になるものでした。
プレゼンテーションが終わったあと ドクターに 個人的に質問した。
ABRはどれぐらいの間隔でするべきか。
聴覚異常に関しては あるときを境に2〜3年の間に急激に進行するため 最低でも年1回のABRが必要であること。とくに 中耳炎をよくおこすのであれば
・・・やっぱり。
レイナはここ1年していないので そろそろしないといけない。
人によって発症の年齢は違うが だいたい5歳前後からみられる。
20代で発症することもあるが 定期的な検査が必要であることは間違いない。
今 音が聞こえたらビー玉を移し変えるという検査をしているが そんなことは必要ないように思えてきた・・・
というか 思っていた。そんなにのんびりしていることではないと。

過食について
このプレゼンテーションは プラダーウィリー症候群(PWS)を研究されている方がこられました。
Alstrom症候群とPWSは似ているところがあり(肥満・痛みに鈍い) 以前 日本からAlstrom症候群ではないか?とジャクソン研究所に連絡があったことがあるそうです。(結局その方はPWSだったそうですが・・・)
特に 過食に走るという部分や肥満ということではPWSの方が 深刻だそうですが、以前この方が PWSの家族会議で 日本の家族に数組あわれたそうです。
他の国の家族に比べ日本人がはるかに肥満が穏かであったことを話されていました。 
日本の食事になにかヒントが隠されているとも。
この
PWSとAlstrom症候群が一緒になって 研究することでまた 新たな発見があるかもしれないということで 今回はお話されていました。

ここで レイナのことで 以前から気になっていたことがひとつ解決した。
レイナは 痛みに鈍い
足の指(親指と小指)に とげが刺さっていた。
それを 思いっきり 指でギューってしながらとったことがある。 
お兄ちゃんなら 痛くて泣くし 針でとって!となる。
でもレイナは 親指の方は 起きているときに 足をひょいともって(力で押さえ込むことなく)ぎゅーっととげを搾り出すようにしてとった。
痛いとは 言った。 でも泣かなかった。
小指の方は 寝ているときに 同じようにぎゅーっとしてとった。
まったく 動きもせず ましてや起きることも無かった。

採血、痛いってなく。でも 押さえ込むのをやめれば泣き止む。
普通 注射でも しばらくは子供ならないたりする。採血なんて注射よりいたい。




こうやって書いてみると(少ししか内容は書いていないが) ものすごく短く感じるが 朝9時から11時半までと13時から17時まで びっちり 話を聞いていました。

アメリカでは 除湿という考え、機能がないのか 雨が降っていてじめじめしていたせいもあるのか エアコンがガンガンに効いていて めちゃくちゃ寒かった・・・


夕食の後に サイレントオークションの
品が 並べられていました。
いろんな国から いろんなものが。




私たちが持っていったいくつかのもの湯のみセット、お箸、扇子、折り紙なども持って行きました。
バックは担当の保健婦さんが寄付してくださいました。

ホテルのフロント付近には Alstrom Syndrom Internationalのいろんな小物も 売っていました。
それらの売り上げは 研究や こういった活動に使われるのでいくつか購入しました。
わかるかな〜 このゴムのわっか。
ちゃんと”ASI”ってはいってるの。




26日

朝 7時半・・・ げっ 寝坊です。
Aちゃんが 起こしてくれました。今日も朝ごはんはおなじです。(飽きたけど 食べてしまう・・・)

今日 お天気がよければ Six Flagsというところ(遊園地)にお兄ちゃんは 連れて行ってもらえるはずでしたが あいにくのお天気でチャッキーチーズとやらにいったらしい。(ゲームセンターとピザ屋が一緒になったところらしい・・・)


今日は 2部屋に分かれてプレゼンテーションがされ、午後からは 親の時間と 先生・専門家の時間と別れます。

午前
A) 行動と発育 ・ 発育と教育の課題 ・ 内分泌機能と新陳代謝 ・ Alstrom症候群の心臓 ・ 心臓超音波(エコー)を理解しよう

B) Alstrom症候群10人10色 ・ 膀胱機能障害 ・ 内耳の蝸牛殻のインプラントは有効か? ・ Alstrom症候群による視力喪失 ・ Alstrom症候群による肝機能障害と食道反射


A)はどちらかというと 幼少から10歳前後のこと B)は 思春期以降、大人になってのことで どちら聞いておきたいけれど N先生とお父さんには A)に 私はAki先生と B)に行くことにしました。
発達などは N先生がどちらかというと専門だし、今後すぐにでも 先生がこれはこの検査をした方がいいとか感じてもらえるかもしれないから。
私は 3月にオシッコがあまり出ないことが気になってたこと、難聴のこと 視力のこと・・・ よく理解しておいた方がいいことが多いので B)にしました。


内分泌と新陳代謝
すべての患者がいずれか 2型の糖尿病、肥満、新陳代謝の異常を特徴とする高インシュリン血症、性腺機能低下症、甲状腺機能不全、成長ホルモン欠損症を含む 多くのホルモンの機能不全を 示す。
この分野は 長期にわたる合併症を防ぐためにも効果的な治療法を 慎重に取り組むべきである。


Alstrom症候群の心臓
何が心筋症のきっかけになるかも、それを避ける方法もわかりません

それに、他の遺伝的小児心筋症が 発症から悪化していくのと対照的に 発症後 Alstrom症候群はなぜ、心機能が 改善されるかあるいは 回復するのかもわかりません。
また 
回復した子供たちも また乳児期に何も問題が無かった子供も 思春期に多くの人が遅延性の悪化とともに 進行性の心筋症を発症します。


心臓超音波
以前のレポートで 生後2週間から7ヶ月という早さで 最高81%の患者が心臓のサイズと機能異常が現れます(レイナは 生後40日ごろでした)
ここのの内容は レイナの心臓の状態と同じで また 心筋、機能は左右どちらの心臓も拡大し、全体に機能低下(コレは 心筋が厚くなることと無関係ではない) 異常な僧房弁・三尖弁は見られるが 重度の漏れは無い。
多くの
Alstrom症候群患者の左心腔は 心臓のポンプ機能の低下なしに肥大している。それが 心不全の初期段階かもしれない。


Alstrom症候群10人10色

ここでは 腎移植・膵臓移植などをされた方の経過など、そして できる場合の心臓の状態など。
そして 5パーセントの失敗の可能性など。

膀胱機能障害

まず、何が問題であるかを知ること。(膀胱自体か、括約筋の過活動か、不活発か、もしくは神経的なことか)
43%の患者が膀胱の問題を抱えている。
何度もテストすることが必要。


内耳の蝸牛殻のインプラントは有効か?
難聴が進み 補聴器でも 音を感じにくくなった場合(30パーセントの患者)
Alstrom症候群で対象となるのは 大人で子供から盲であるか 診断が遅かった人、
保健の関係か、アメリカより欧米の方が症例がある。
片耳だとバランスがとれないので 両耳をする。
Alstrom症候群は 眼と耳が同時に進行していくので 耳鼻科医と眼科医がもっと協力しないといけないとこのプレゼンテーションをされた耳鼻科医は言っておられた。
こんな耳鼻科医が日本にいて欲しいものだ。


視力喪失
Alstrom症候群で一番注目すべき点、光に過敏である、眼振、視力の発達の遅れ。
網膜電図(ERG)で 検査すると 錐体(日中視力、色覚、細かい中心視をつかさどる光受容体)の機能低下を示す。(夜の視力をつかさどる桿状体は維持)

日本で網膜色素変性症とひとことで言うと少し判断が違ってくる。 Alstrom症候群は(Cone Rod Dystrophy)で、レイナはあまり 眼科医には理解されませんでした。(網膜色素変性症と表現するので)
幼児期に 中心部の視機能を失うことが多いので もうそろそろかもしれません。
10歳ごろには どの患者も視力がほどんどありません。

眼振があるためてんかんをよく疑われるが てんかんは12%の患者に認められる。

眼・耳と異常があるため、嗅覚にも問題があるかも?? (親はそう感じていることが多い)
やはり 眼科医と耳鼻科医が連携する必要あり。

レイナは なかなか理解してもらえず 遮光眼鏡も無理やりといっていい形でつくりましたが Sandraさんの娘さんは9ヶ月からしていましたし、その病院・ドクターの情報も眼科医には伝えましたが 特に動いてもらえませんでした。 今回アメリカの子供さんはコンタクトを1歳半からされている方もおられました。
眼鏡とコンタクトとで比較しどちらかかより視機能をよくしているということはないそうです。
今後、日本で同じ病気の子供のより早い診断とより早い遮光眼鏡をかけることの理解を眼科医には望みます。


Alstrom症候群による肝機能障害と食道反射
肝機能が低下し 血をよく吐くようになる
食道の逆流では 酸を抑える薬を利用する。



ここで御昼ごはん。
私は どうしても 眼科医に聞きたいことがあった。
Aki先生に通訳に入ってもらって 眼科医に話しかけると 昼ごはんを食べながら話そうと言って下さった。
この会の すごいところは こうやって ドクターが 患者や 患者の親と 同じところで 同じものを食べ、そして 一緒に食べるということ。
こんなことは 他の こういった患者の会などでは ありえないらしい。(他の会などでは 医者は医者とたべ、また食事をしながらなんてまずしてくれない。夜に バーで一緒にお酒を飲むなんてこともないらしい。)
それができるドクターだからこそ、世界から集まる。
患者のことを考えながら 難しい病気を研究している。

お父さんやN先生、Hさんには申し訳ないが 別で食べてもらった。
どうしても 聞いておきたかったし、聞いておかないと今後のレイナの視力を評価するのは 私だと思うから。

ブラジルのお父さん・お母さんも一緒にご飯を食べた。
まず、レイナのERGをみてもらった。
『・・・コレは どうやってとったの?寝てたの?』
「起きている状態で押さえつけて」
『ERGとはいえないね、ノイズだよ コレ・・・ とはいえ もう、これだけいろんな症状があるからAlstrom症候群だし 眼の視機能をよく注意してみておいてあげなさい。これからはどれだけみえているか どう見えているかしっかり把握することが大事だから』
サイドカバーについても聞いてみた。
『いいアイディア』といってくれた。

ブラジルのお母さんも いっぱいいろんなことを聞いておられた。
そして 私に
『ASIの ニュースレターで 紹介されたとき 早く会いたいっておもったわ。会えて嬉しい』といってくれた。(サッカーでは敵だけど・・・というか日本はブラジル嫌いでしょ?みたいなジョークも言っていた)
そう、ASIの ニュースレターでは ニューファミリーとして 私とSandraさんが メールでやり取りした内容を載せてもらった。
それで 私は必ず 今回のカンファレンスに行く!!と 宣言していた。それをちゃんとみていてそして 会えた。
ブラジルのお父さんは横で ジッと話を聞いておられた。(どこのお父さんも同じ感じ・・・お母さんについて歩いてるって感じ)
そして お母さんはよくしゃべる。私もびっくりするほど。

こうやって、眼科の先生と話していると お父さんとレイナがうろうろしている。
もうご飯を食べたんだろうと思っていたら なんとご飯をまったく食べなくて Hさんが お友達におにぎりを作って持ってきてとお願いしてくれたらしい。それをレイナは待っていたみたい。
Kさんという方。 あいさつしかできなかったけど、すごい 私と気が合いそうなかんじの方だった。
Kさんのおにぎりは 最後の日まで持つように 大事に食べることに。

昼からは 患者の親グループ、大人の患者グループ、プロ(ドクター、研究者)のグループに分かれてのプログラムでした。

N先生はもちろん、プロのセミナーへ、Aki先生は そのプロのところで 発表をされました。
(Aki先生のところは 聞きにいきました。もちろん、英語だからわかりませんでしたが、なんとなくメンデル遺伝のことを言っていたように思います。)

親のグループのところも 親同士がいろんな意見交換などをしていたり、メモリアルのお部屋で なくなられた方の 思い出を話したりと14時から17時まですごしました。
私とお父さんも やっと二人で少し話す時間ができました。
お父さんは レイナがAlstrom症候群だとわかってから あまりレイナの病気のことを聞きません。
通院日だったとしても、今日はどうやった?と聞くこともありませんでした。
それは 逃げているのではなく まだまだ 自分の中で葛藤しているから・・・と私は思っていたので、あえていつも 自分から話すことはしませんでした。
この カンファレンスに参加することも 私の独断だし(もちろん、普段なにを決めるにも) 私のしたいように いつもさせてくれていました。

そして、やっと私もお父さんに気持ちを聞こうと思えました。
『来て よかった?』
「よかった、100パーセントこの病気やって思った」
『今までは まだ疑問やったん?』
「いや、いままでもそうやと思っていたけど、より思った・・・みんな レイナに似ててかわいい」って。


晩御飯まで今日は少し時間があるので Hさんが 洗濯物が乾かずに困っていることを知り、近くにあるコインランドリーに連れて行ってくれました。

ひとつひとつ 洗濯機がでかくて、乾燥機もでかくて、おまけに広い・・・
奥の方に丸がいっぱい見えているのは乾燥機。洗濯機で隠れているけれど 下にも乾燥機があって、洗濯機も恐ろしい数ならんでいた。





今日の夜ごはんは 患者の大人チームのリーダーの話、患者の一人が歌を歌ったり、世界中から みんなが持ち寄った 品のオークションが締め切られ 落札者が購入したりと そろそろこの会も 折り返しと感じるようなディナーでした。



その 晩御飯の間 ずーっと寝ていた人が・・・
家でなら あとで食べるってできるけど、ここでは無理よ・・・
起きて食べて!!

ご飯という言葉には反応しなかったのに ケーキというと ムクッと起きた人・・・
レイナさん。

たべてます、甘〜いケーキ

私が 持って行ったオークションの品は 意外なものが高い値段でした。
魚のいろんな漢字の書いた手ぬぐい。 わりと高い値段でした。
そして 保健婦さんが寄付してくださった バック!! このオークションで一番高い値段でした。
落札した方は すっごく喜んで 私に話しかけてくださいました。


私たちが落札したもの。
ジャクソン研究所のものです。


マウスのぬいぐるみと ねずみのかいたキャンバス地のバック、それとDNAのプラスチックのモデルが作れるキット。


トルコ石のネックレス、NBAチームのユニフォームや手づくりのキルトなど たくさん素敵なものがありました。
盲人用の音声時計などもあった。


今日もテキサスは雨でした。
想像していたテキサスは 暑くてカラッとしていて・・・だったけど。



27日

今日は かろうじて雨が降っていない。
お兄ちゃんは”Chelsea’s special Olympics”とやら・・・これも いまだになんのことやらわからないが、とても楽しかったらしい。
今日も 親チーム、プロチームに分かれて午前中は勉強です。

Alstrom Syndrome International(ASI)を どうみんなで支えていくかということがメインです。
ASIは もちろんプロも参加している会ですが、患者の患者による患者のための会なので 自分たちが1セント、1円でもたくさん集めること、そして ASIは どんなときでも 相談にものってくれる。
それは子供を亡くしたときでも。

この会議の開催3週間前にASIにAlstrom症候群患者の 肺と心臓の同時移植が成功したと報告があったそうです。この病気で 移植ができることが とても貴重なことで親たちは また少し希望を持つことができました。
ただ・・・この移植をしても 命の長さが変わることはほとんどないのですが・・・


昼からは みんなでバスに乗って ストックヤードにいきました。
昔のテキサス!!ってかんじの観光名所。
そこで お昼ごはん。と1時間半ほど ブラブラとしました。
 
まあ 場所が変わろうと ご飯はバイキングでサンドイッチに コーラって感じでした。

やっと ホテルからでた レイナとお父さんです。

レイナは お昼ごはんを食べたら 眠たくなって だっこで寝ました。
お兄ちゃんは とにかく見るものすべて 欲しい!!という感じで アレかって〜 コレ買って〜の連発。


15時半にまた バスで移動。
今度はファームで バーベキューです。

トラクターに乗って 農場の中で 遊びました。
やっぱり今年のテキサスは 雨。 遊んでいるときに 雨が降り出しました。
ちょうど 大きな木で 雨宿りをしていましたが、 Alstrom症候群の患者は 補聴器をしている人が多く 急な雨に とても困りました。
私は たまたま、ホテルを 出発する時に 「欲しい人はどうぞ」と ポンチョを配っていたので 4つもってきていました。
あまり 持っている人がいなかったので 私たちは別にぬれても大丈夫なので 補聴器をしている人にあげました。 おばちゃん根性で もらってきておいてよかった〜。 なんでもタダのモノは ありがたくもらう習慣は こういうときにとっても役立つのね〜。

雨はすぐやんでよかった。 大きな木は 遊具がいっぱいついていて木のお家のようになっていました。

ご飯を食べたあと 集合写真を撮りました。
マイクで 誰かが集合をかけている横を お兄ちゃんが通ったとき なかなかみんなが集まらず、「Hurry!!」といっていた人にマイクを向けられ お兄ちゃんは 『ハリー!!』といっていました。

集合写真は 患者だけ・患者と家族・ドクター・ボランティアとグループにわかれて撮りました。
患者だけの時にレイナは グズグズで 私から離れませんでした。

ファームからの帰りのバスはさすがに疲れたのか お兄ちゃんもレイナも寝ていました。

会議は 明日の御昼までありますが、N先生は 外来があるので 今日の夜中3時ごろホテルを出発されます。
いったんみんな 部屋に戻り、バーで会うことにしました。
もう22時ごろでしたが とりあえず子供たちも一緒に すこし時間をすごし、お父さんに子供たちを任せて N先生、Aki先生、Hさんのご主人と一緒にすこしお話をしました。

N先生とも ゆっくりいろんなことを話すこともなく スケジュールのまま動いてあまり話もしなかたので ここで初めていろんなことを話したような気がします。
N先生には ずっと私の思いつきで 「カルテ内容をまとめて欲しい」とか 「手紙を書いて欲しい」とか 勝手なお願いばかりしてきた。
N先生は日赤に入院していたときのカルテを見て 「これほどまでとは思っていなかった」といってくださり、「勉強になりました」とも。
私も 「今になって あの時はつらかったって思う」と涙を流してしまいました。
N先生に 『一緒に来てなんて 言って すみません・・・断れなかったですよね・・・』というと
「いや〜なんにも考えないで 返事しただけですよ」と 笑いながら言っておられましたが、きっとたくさんいろんなことを考え、また 準備や帰ってからのハードな日が想像できたのに 来てくださった。

Aki先生も 仕事があるのに、時間を作ってきてくださった。
夜遅く、空港まで迎えに来てくださった。そして会議中、本当に同時通訳で内容をしっかり教えてくださった。一緒に冗談(私の一方的な話もあった)を話した。とっても子供たちをかわいがってくださった。
そして この会議中、「子供に会えなくて寂しい」思いもさせてしまいました。
Aki先生も明日、会議が終わり次第 帰られる。
みんな それぞれ仕事、家庭・・・いろいろある中で、私たちのために時間を作ってくださった。
Hさんのご主人は Aちゃんにこのボランティアはするべきだといって HさんとAちゃんが参加することを 迷い後押ししてくださった。
みんなにありがとうが言いたいのに 言ってしまうと泣きそうで まだ言えなかった。
アホなこと言って笑っていたかったから みんながビールを飲んでいるところに ちょこんと座って 一緒にビールを飲んだ。

お父さんも 子供たちが 寝たら すこし顔を出して、N先生に お礼を言いに来ました。
・・・と、感動しながらも アンケートなどがあり N先生には 最後まで 仕事をしてもらいました。
バーは1時で終わってしまい、部屋に帰ることに。
N先生と Aki先生は 3時まで Aki先生の部屋で飲んでいたそうです。
N先生は 寝ずに飛行機に乗って、帰ったらすぐ大学病院で外来。
本当にN先生 ありがとうごさいました。
 


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