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2004年4月29日(木)
再入院2日目

お兄ちゃんは 母の方のばあばに面倒をみてもらっている。病院に連れてきてくれた。「さみしい・・・レイナちゃんもいっしょに おうち かえろ」という。涙がでる。
午前11時半 また呼吸がみだれる。酸素をする。声がかすれているのと、飲む時にいつもなるので 耳鼻科の先生に明日見てもらうことになる。確かに 飲み込むのが始めから下手だったからもしかしたら なにか異常があるかもしれない。
午後11時ごろ 仕事帰りに お父さんが顔をみにくる。お父さんをみて すごくいい顔をする。こんな いい顔を お父さんに見せたのははじめて。

2004年4月30日(金)
日付が変わったその時

午前0時30分・・・となりのベッドの人がくしゃみをされた、そのくしゃみにびっくりして ワッとないた瞬間 真っ赤な顔になって、頭から汗 いっぱいかいて真っ白に・・・すぐ ナースコールして看護士さんがきてくれる。すぐ、当直の先生を呼んでくださるがそのまま ICUへ。人工呼吸器をつけることに。すぐ、主治医もかけつけてくれた。どれぐらい時間がたったかわからない。けど、ピーって音がきこえた・・・それから、本当にどれくらいたったのか。ICUの中にはいった。
「とっても 危険な状態です。一度心停止になりました。呼吸器にまかせて楽にしてくれるといいんですが、一生懸命呼吸しようとするので 余計にしんどくなっている状態で、体内のpHも7なので非常に危ない状態です。」といわれた。頭の中、なんだかわからなすぎて、悲しいとかそんな簡単な言葉でかたづかない。とにかく、今 母としてレイナにしてやれること、この 状態を 状況をなにひとつ見逃さないという気持ちと そばにいたいという気持ち。医学的にどうのこうのいわれてもわからない。誰でも、つらいとき母を求めるように レイナはなによりわたしにそばにいてほしいはず・・・その気持ちだけ。
主治医は 今の病院じゃこれ以上の小さい子供に対応する設備が整っていないので いろいろな病院に連絡して受け入れ先をさがしてくれるが、午前3時という時間 どの病院も人手が足りないと言う理由でうけいれてくれない。朝 外来がはじまる頃にまた連絡することに。その後 心臓のエコーをしたり、採血、心電図など。肺のレントゲンをみた。全部が真っ白。
おなかにいた時に 毎晩お兄ちゃんを寝かす時に歌っていた歌を 耳元で歌う。すると、本当にうそみたいに 呼吸を呼吸器に任せるようになって、pHがおちついた。
もう、朝7時になっていた。少し、落ち着いたので おっぱいを絞る。キンキンにはって、いたい。
当直の先生が 帰られるとき、「こんなこと、いうのはなんですが ほんとうに あぶなかったです。主治医の先生は本当にがんばっておられました。お母さんも、落ち着いてちゃんとすべてみておられたので正直、びっくりしました。でも、大丈夫ですよ。」って声をかけてくださった。そのとき、やっと 涙がバアアアっていっぱい溢れた。ピーンと張っていた気持ちと、やっと 悲しいと素直に思っていいんだという気持ち。
人は突然 本当に悲しいことがおきても 頭と心がごちゃごちゃして 涙が出ない。 突然 予想もしないことがおきると 自分の感情を理解するにも時間がかかる。いろんなことを 一度に考えるから。
午前9時、受け入れ先の病院が決まる。10時ごろ ドクターカーで迎えにきてくださる。
夜中、お父さんとお兄ちゃんも病院に来ていた。でも 朝が来る前に 一度 家に帰ってお兄ちゃんをちゃんと寝かせてもらう。お兄ちゃんまでしんどくなったら困るし、お父さんに少しでも休んでおいてもらわないと わたしが休む時もなくなる。今は わたしがそばにいないといけない。
受け入れ先の病院は 日赤。お父さんに連絡して、わたしはドクターカーで、お父さんとお兄ちゃんは車で 日赤に向かう。
ドクターカーで 移動する 5分ほどだけ睡眠をとる。レイナは 赤ちゃんだけどNICUには入れない、普通のICU。隣のベッドには、おじいちゃん・・・
面会時間は平日は14時から15時の間で15分間まで。土日は、11時から12時までで15分以内。
わたしも、お父さんも 一度泣いたら 涙が止まらないのはわかっているから、涙をこぼさないように 真っ赤な目でこらえる。もちろん、お兄ちゃんの前でなくわけにはいかない。

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